肋骨ぱんだのブログ

日記とか人生とか

夢や理想はなくていい

「人生に夢や理想は必要ありません」

あなたには人生の夢があるでしょうか。

あるとしたら、

なぜその夢を選んだのでしょうか。

 

f:id:rokkotupanda:20181220033907j:plain


今回は夢のはなしです。

現代社会の一般認識として、夢や理想があることは素晴らしい、夢に向かって努力することは美徳とする風潮があります。

「将来は何になりたいか」

「どんな人になりたいか」

私たちは物心がついた頃から家庭や学校で、自分がなりたい将来像を常に求められます。なかにはこの職業につきなさい、と周囲から一方的に将来を決められた人もいるかもしれません。

成人して社会人になったあとも、ほとんどの人が仕事の出世や独立、結婚などの未来の理想のライフスタイルを思い描きます。そうして夢を叶えた人もいれば、現実と理想とのギャップに途中で夢を諦めてしまう人、なんとか自分の理想像に近づけようと努力し続ける人さまざまです。

 

夢を叶えた人は素晴らしい。

ドラマや小説、漫画上では主人公が信念と情熱をもって、夢を追いかける姿が魅力的に描かれます。そして偉人や成功者、夢を叶えた人たちはこぞって夢を持つ大切さを訴えます。 

ー夢を持つことで生きる気力や日々の充実感が得られます。理想に近づくことで自己成長が実感でき自信も増すでしょう。夢が叶えば幸せです。何より努力を惜しまない人は輝いて魅力的に写ります。だから夢は大事。    by偉いひと

 

でも本当にそうなのでしょうか。 

本心から自分のやりたいことがはっきりしていて、その道以外には考えられない理由があればぜひ夢を叶えてほしいと思います。ただその一方で、何がやりたいのかわからない、自分に何が向いているのかわからないといった人が多いのも事実です。

夢がない人は無気力で不幸。

そんな事はない筈です。

夢をもたない幼児たちが公園や運動場で遊び暮れる姿は無邪気です。夢はとうに忘れたと快活に話す近所のおばさん達は今日も元気に井戸端会議。ゲートボールをしたり散歩するシルバー世代の人たちも楽しげです。縁側で寝そべる猫でさえ満足気に見えます。

 

夢を持たなくても、人は元気に楽しく生活ができます。

夢を持たなくても、人は幸せなままです。

 

家庭や学校などで将来の夢は何かと求められても、わからなくて当然です。社会のありようが日々変化する中で、自分にどんな才能があって何がやりたいのかなんて、人生で色々試して実際に経験しないことには判断できません。今ある職種のほとんどは、自分が生まれた頃には存在しなかったものばかりです。ある程度の年齢を重ねてはじめて、これまで知らなかった世界に触れてあらためて自分の可能性に気づいた、なんてよくある話です。

 

夢や理想はなくてもいい。

そこに無理をして、

何気なく夢や理想を掲げた瞬間から、偽りの人生が始まります。

 

興味はないけど恰好がいいから。

周囲にすごいと思われたいから。

何の目標もない今の自分がイヤだから。

夢のない奴だと思われたくないから。

 

聞こえのいい夢を適当に設定したとすれば、それはたいてい悲劇に終わります。目標ができて昂揚感や優越感は一時的に得られますが、その後は欠乏感や劣等感に苦しめられることになります。夢を諦めたら諦めたで、今度は喪失感と自己嫌悪が残る。

「世の中そんなに甘くない」

それが本当に自分の夢なのか疑うこともせず、今度は自己正当化が始まります。

 

虚栄心や現実逃避のための夢ならば、はじめから持たないことです。

やりたいことがわからなければ、わからない、のままでいい。

 

やりたいことがわからない、夢が見つからないからといってプレッシャーを感じて悩むことは無意味です。夢はあってもなくてもいい。夢がある人と夢がない人の間に、なんの優劣も幸不幸の違いはありません。 

 

「人生夢も希望もない」

 単調な生活に嫌気がさして人生楽しくない。これからどうしたらいいのかという問い合わせが人生相談にはよくあります。

この相談に対する回答はひとつです。

 

人生夢や希望がない、それが自然。

 

人生には夢や希望や生きがいがないといけない、という思い込みにまず気付くことです。夢や理想で自分を飾らなくても、幸せな人生は死ぬまでイヤでも続きます。

それよりも、毎日の日常生活をしっかりと生きることのほうがよほど大事です。普段の食事や体調管理、目に映る自然の移り変わりなど、自分の五感を通じていま感じている感覚を大切にすることが人生を豊かにします。

f:id:rokkotupanda:20181220033853j:plain 

今この瞬間を生きる姿勢が人生をラクにする鍵です。

日々の生活で自分の感覚を大切にしながら、本心から自分が楽しいこと、没頭して打ち込めることがあれば素直にそれに従ってみる。いたずらに夢や理想という未来の幻想を追い求めずとも、続けていれば自然にあるべきところへ落ち着きます。

寝食忘れるぐらい打ち込めるような好きなことをやり続けること、それを人は努力と呼びます。

自分は何が好きで充実感を感じるのか。一度きりの自分の人生です、人目や世間体は関係ありません。やりたいことが変わればそのつど方向転換すればいい。夢や理想にこだわってしがみつく必要はありません。 

 

山登りをしていて、ずっと頂上だけを見つめて登っていては足元をすくわれます。一歩一歩自分の足どりを見つめて歩くだけでいい。周囲の登山客に合わせる必要もありません。目に映る景色を楽しみながら、自分の好きなペースで進むのです。

焦らずともいつかは頂上に着きます。自分に合った道筋を変えていくうちに、ルートも滅茶苦茶で、ひょっとしたらはじめに目指した山とは違っているかもしれません。でもそれで正しいのです。その山登りは誰のものでもない、自分だけの価値ある頂上の景色であり登山道なのです。